My Life

僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう

今となっては偉大な人だけど,その偉大な人たちも昔は「何者」でもなかった. それを学生に伝えるため,永田氏が企画した京都産業大学での講義(講演会&対談)が本となった.

ゲストと印象に残った部分は次の通り.

山中伸弥

  • ある何かが起きたときに、心底不思議と思えるとか、心底驚くとかっていうのは、研究者になるための一つの条件のような気がしますね。予想外のことに我を忘れて興奮できるかどうか。研究者というのは常に冷静で、ものごとを客観的に判断して、論理的に考える──それが研究者だとよく思われがちなんですが、実は研究者って、少々おっちょこちょいの方がいいのかもしれません(笑)。「え、こんなおもろいのか!」と思える才能というものがありますね。もう一つ、われわれの年代だと、学生たちが出してきたデータを一緒になって面白がれるかどうかというのも大事ではないでしょうか。

羽生善治

  • 実際の対局では、ミスをすると、ついついその場で反省と検証を始めてしまいがちです。もちろん、同じミスを繰り返さないために反省と検証は大切です。でもそれは、対局が終わってからでいい。ミスをした直後には、とにかく状況を挽回し、打開するために、その盤面に集中しないといけない。「こうしておけばよかった」などと過去に引きずられずに、「自分の将棋は次の一手からはじまる」と、その場に集中していくことです。これはもう本当に、意識的にやらなければうまくできないことだと思います。

  • より小さな違いがほぼ正確にわかるようになると、きわどいけれど、「ここはまだ大丈夫だ」という感覚が身についてくる。つまり、リスクがとれる範囲が広がるんですね。見ている人がものすごく大胆な手だと思ったとしても、指している本人としては、堅実に勝負を進めている場合があります。ですから、リスクを小さくしながら挑戦をしていくには、非常に月並みですけれども、コツコツとスキルや能力を上げていくしかない。これに尽きると思います。

是枝裕和

  • 僕はこの仕事を始めたころ、なぜ撮るんだろうという、すごく根本的なことで悩んだことがありました。直接見ればいいじゃないか。見ているものをわざわざ映像に撮ることが、一次的体験ではなくて二次的な体験に過ぎないんじゃないかと、ネガティブにしかとらえられなかったんです。けれども、自分で番組をつくるようになってわかったのは、「いや、普段僕ら、全然見ていないじゃないか」ということでした。見えていると思っていたものが見えていなくて、レンズを通してはじめてそれを意識できるようになる。それに気がついたとき、カメラを通して見ることがレベルの低い体験ではないとわかった。それで、この仕事がおもしろくなってきた。

山極壽一氏

  • 私は伊谷さんを通じてダイアン・フォッシーに弟子入りし、ゴリラの調査の方法を教えてもらいました。朝の四時半ごろに起きて、まだ暗いうちから自分で飯をつくって身支度をして、たったひとりでゴリラに会いに出かける。朝から晩までずっとゴリラにつき合って、暗くなったら帰ってきて飯をつくって食べて寝る。ほとんど人間と会わない生活です。私はそのときの状況を、「ゴリラの学校に入学したようなものだ」といつも言うのですが、実に幸福な時間でした。

  • 自分の人生を振り返ってみると、つねに他人にできないことをやろうとしてきたと思うんですね。自分にしかできないことを探そうと思ってきました。それはある程度、実現したようにも思うし、あのときこうしておけばよかったなと、思うこともけっこうある。でも、自分にしかできないことは何だろうと、思っていたほうがいい。あなたというのは、この世にひとりしかいないんだから。他人ができることであれば、自分にもできる。そういう考え方も世の中にはあります。でも、他人にできるのだから、その人に任せればいいじゃないですか。  自分だからこそできることを探してみてほしい。それが自分の知識をきちんとまとめることにもつながるし、他人が考えたのではないことを、自分が考えることにもつながる。それを、ぜひ心がけてもらいたいと思います。